牧歌的

参観日。Nくんのお母さんとNの弟妹と一緒に学校に行く。
算数。フリーズ先生がんばっている。補助の先生もいるが廊下にいるだけで、教室はなんとか平安がたもたれていたが、はらはらするなあ。授業はおそらく予定の半ばまでしかすすまず。

休み時間、Sくんが、うちの子がいじめられていると教えにきてくれる。「こいつ、弱いからいじめられるんだ」ふむ。あんたが言うってことは、私の子どもの気のせいではないわね。
その場でGくんは誰か教えてもらって、話に行く。
「うちの子がきみにいじめられているってきいたんだけど」
って言ったら、まわりの子どもたちも、その横にいたフリーズ先生も、その一画が凍ってしまった感じだったけど、言うことは言う。「乱暴なことはこわいので、やめてください。おねがいしますね。約束してよ」と、凍ったままのGくんとゆびきりする。
あとで、Gくんのお母さんに「おたくのお子さん叱りました。突然知らないおばさんに叱られてびっくりしたかもしれないけど、こういう事情なのでよろしくお願いします」って言ったら、なんかにこにこして、「ありがとうございます」って言われた。
ああ、なんだか牧歌的。

子ども、音楽のときに耳栓をしていて、ほかの先生に耳栓を「はずしましょう」と言われてショックを受けていたのも、連絡帳に書いたら、謝罪と他の先生にも伝えます、と書いてくれていて、フリーズ先生が凍ってない。
ご面倒かけますって挨拶したら、「りくしくんにはいつも助けてもらってます、私がまちがっていると、教えてくれるんです」って、先生、大丈夫でしょうか。

帰ってきたら、玄関は運動靴がたくさんひっくり返ってる。Sには、うちで遊ぶなら宿題してから、とけっこうきつく言ったので、来なくなるかと思ったら、最近まじめに宿題している。3年生のSくんもきていて、あとからNくんと5年女子のKちゃんもやってきて、電車がガーガー、ゲームがピコピコ、ピアノがポロロン、にぎやかなことだった。
私は畑に水やりに行く。ああ、とっても牧歌的。

「ぼくがいじめられていたら、友だちが守ってくれるんだ」
と夜、子どもがいう。Gくんが蹴ったり殴りかかってきたりするので
「弱いものいじめはだめだよって言ったのに、いいんだよ、って言ってやめてくれないんだ。そしたら今日の昼休みは、Sくんと、もうひとりの男の子と、3年生のSくんもきて、通せんぼしてくれたんだ。そしたらGはひきかえした」
それはよかったね。
「でもまたいじめられたらどうしよう」
そのときはまたお母さんに言いなさい。そしたらお母さんはまたGくんに言う。今日見てたでしょう。ゆびきりしたのに、約束やぶるなんてひどいじゃないかって話に行く。だから安心していいよ。

3年生のSは去年うちのパパに、同級生のSはほんの先月私に、「うちの子をいじめるな、こわがらせるな」と言って、叱られたのでしたが、それ以来ふたりとも態度がすっかり変わって、なぜかいまは、守る係までしてくれているのは、子どもってえらいな。おやつぐらい出してあげよう。

「ぼく、昨日や今日、Gくんにいじめられたことずっと忘れられないよ、どうしよう」って言う。そうだね。いじめたほうは忘れてもいじめられたほうは忘れられないもんだよ。そういえば1年のときはAくんによく叩かれていたんだよね、覚えてる?
「あ、忘れてた」
まずまず牧歌的。

筍と蕨をもらったので、晩ご飯はそれ。子どもは食べないので、納豆とほうれん草のたまごとじ。ねぎと苺は、荒れ地の畑から。申し訳ないほど牧歌的。



風が吹いて校庭の土が舞い上がるのを見ながら、福島のほう、たいへんだろうな、と思った。子どもたちも、全然牧歌的ではない毎日を強いられているんだろう。

高木義明文科相が「放射線に関わる労働者は過酷な条件のため、保護する必要があるから基準は厳しく設定されているが、小学生は労働をしないので20ミリで問題ない」と発言したというのは本当か。
この人は文科相をしてはいけないし、国は子どもを守る気がないと思ったわ。
こんなのが目にとまった。

福島県でお子さんをお持ちの方々へ:避難という決断とその支援について
http://fukugenken.e-contents.biz/information01



もうひとつの、牧歌的でない話について、こんなのも。
国旗国歌と公民教育
http://blog.tatsuru.com/2011/05/17_1846.php



ツイッターはじめた。まさかね、することになると思わなかったけど。目がちかちかする。生きるのはもっとゆっくり歩くことだ、という気がしきりにするんだけど、もっとゆっくり、読んだり書いたりすることだ、と思うんだけど、それでは命の危機に関わるよ、というのが3・11の震災ではあった。
でも生きるのは、もっとゆっくり、もっともっと牧歌的であるべき、あってほしいと、思う。
たとえば、フリーズ先生の授業の進度でまにあうくらい、ゆっくり。