雪の降る日

金昌烈詩集より  翻訳 上野都

  雪の降る日

雪が降る
限り無く
雪が降る
どこかへ独りで
歩いていく。
私に映る私が
もうこれ以上は
惨めになるな と
心に固く誓いながら
どこかへ
気ぜわしく歩いていく。
雪が降る
限り無く
雪が降る。

──
こないだもらった詩の雑誌は、半分以上はハングルで、読めない。ところどころに日本語。またとても、美しい詩。

韓国の歴史教科書とか、中国の歴史教科書を日本語に翻訳した本があって、日本の侵略のくだりは内容も分量も途方もない。で、思ったわけ。もしも私が、日本人として、朝鮮半島か中国で生まれ育って、日本語を学ぶこともできず、侵略者の子孫と見られながら、育つとしたら。

中国から帰国した残留孤児の、といってもその女の人は、引き上げのどさくさに農家に嫁にやられたんだけれども、数十年後帰国して、ある人に、自分の人生をつづって、渡した。受け取った人は、忙しくて読めないから、何が書いてあるか、読んで教えて、と私に言ったのだけど、たぶん忙しくなくても読めなかったはずだ。日本語がこわれていた。文法も何もかも。たしかにそれは日本語らしいんだけれども、何が書いてあるか、わからない。逃避行の闇のなかにロシア兵があらわれて、娘たちが連れられていった。そんな場面があった。でもそれもはっきりとわからない。中国で暮らして、日本人だといじめられる場面もあった。
大事な話だから、なんとか日本語の文章にしてみるから、それでいいかどうか、また取材して書き直して、原稿まとめなおしてはどうかしら、と私は言ったのだけれど、その原稿を書いた人は、ある人にだけ読んでほしくて、ほかの人には読まれたくなかったらしいのだ。
それで私は原稿を返したけれど、結局その原稿は、読んでほしいと思った、ある人にさえ、読まれることはなかったろう。
どこのどういう人か知らない。もう亡くなっているかもしれない。原稿用紙50枚以上はあったと思う。100枚近かったのではないかしら。ある人も亡くなってしまった。託された原稿はどこへ行ったろう。誰にも読まれなかった、あの人生はどこへ行ったろう。
壊れた日本語の人生。

虐げられる側が、虐げる側の論理を内面化すると、自己は破壊される。ばらばらの破片をつなぎあわせて、なんとか生きているような人生が、どれほどたくさんあるかしら。

朴寿南が、日本生まれの朝鮮人二世の世代について「自己否認への固着」という言葉を書いていたのが忘れられない。
自己否認への固着。結局、私が感じた親しみはそこなのだろうが。

民族の誇りと自尊心は切り離せないものなら、民族教育の権利は守られなければならない。国家間の経済制裁はともかく、この国で生きる子どもに対して、そんなことをして、どうするんだろう。

同化と排外は、どんな理由をつけようと、たとえ善意だろうと、差別そのものなのだし、その意識を、おそらく無意識を、こそぎ落とさなければ、在日するということは、つきつめれば、どの民族にとっても残酷だろう。

自己否認への固着。
自分を憎み蔑み続けることによって、ようやく生きる資格を得られているような、そうでなければ生きていてはいけないと感じさせるような、あの得体の知れない圧力はどこから来るか。
もしかしたらそれは、いまも、民族や国籍を問わず、子どもたちの心を押しつぶしているかもしれない。もしかしたら、それは。



幼稚園で、例の男の子に、たたかれたり、蹴られたり、積み木を頭から落とされたり、指さしされてひそひそ話をされたり、したらしいちびさん、(それはひととおり、いじめの形式ではないかと思うのだが)、
「先生にお手紙書きますか」ときいたら、「いい、ぼく自分で言った。そんなことをするのは無礼なんだって、言ったよ。」

いきなり、たくましくなっていた。