内心の自由

昨日、たまさか一瞬だけ、ネット配信で、原発事故についての公開質疑をやっているのを見た。保安院とか文科省の人たちがいたのかな、子どもの被ばくのおそれについて、質問にこたえていたのが、なんか全然要領をえないのだ、質問するほうも業を煮やして(こういう言い方ありかな、うちの田舎ではよく言う)、あなたたちは、自分の家族を福島に住まわせられるのかときく。そうきかれて、最初にこたえていた人はしどろもどろで何言っているかさっぱりわからず、次にこたえた人は、「私たちにも内心の自由があります」と言って、返答を勘弁願いたいと言った。
たしかに、それはそれでいいのだろう。取り調べを受ける犯罪者にだって黙秘権はある。ただ、「私たちにも内心の自由があります」と答えたこと、そして質問に答えなかったこと、そのことが、もう、ものすごくたくさんのことを語っているような気がした。

一方で、こんな記事が目にとまった。

情報を開示し子供と妊産婦を守れ
松本市長 菅谷 昭 氏へのインタビュー
http://www.fng-net.co.jp/itv/index.html

「この政府の危機意識の無さは、経験が無いからなのだろうか。日本の政治を動かしている方々が党派を超えて、今の福島の状況をもっと自分のこととして捉え、「自分の子供だったら、自分の孫だったらどうするか」という思いで、すべてのことに、政治屋ではなく、真の政治家として真正面から取り組んでもらいたいと、つくづく思う。」


こんなのも。

明日に向けて(148)災害救助法適用範囲の縮小を許してはならない
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f560bcf35266b4314313738f97073da9

早尾貴紀:緊急、原発震災関連
自主避難狭まる/汚染広まる/樋口健二氏に怒られる/我が子再避難
http://hayao2.at.webry.info/201106/article_1.html

政府の考えることはわからん。支離滅裂にみえる。
子どもの安全、というその一点においては、市民と県や国との間に対立は起こってはいけないはずだと思う。



内心の自由について。

話は違うけど、大阪府君が代斉唱時の起立条例(正式になんというのか知らないが)について、しばらく前の、新聞の声欄にあった記事のことを思い出した。
息子の入学式卒業式で、君が代斉唱時に、起立しない教師がいることが、非常に不愉快だった、同僚に促されても起立しない教師たちなのだから、条例で強制するのは賛成だ、という内容。素朴なお母さんの意見でしょうね。
それはそれで、あなたの気持だが、起立しない教師には起立しない教師の気持があるのである。歌う人には歌う人の、歌わない人には歌わない人の、それぞれに内心の自由がある。
他者の内心の自由に対して、それが自分の考えにあわないからといって、権力の介入を喜ぶようになったら、人として堕ちてしまうし、それは独裁制への道を、いつか開くよ。
そうなったときに、無名の母親だからといって、自分は無実だとか、だまされたとか、権力者はひどいとか、被害者面をしてはいけないと思うよ。

と思った。