メモ ☆ 『人間とは何か』V.E.フランクル

メモ ☆ 『人間とは何か』V.E.フランクル (春秋社) 

まず帯の言葉が美しい。
「それでも人生は願う、あなたに、生きてほしいと」

以下、本文から。

「人間存在は意識存在であると同時に責任存在である」

「今日、人間は本能の乏しさに苦しんでいるだけでなく、伝統の喪失にも苦しんでいる。今ではもはや、本能は人間に何をしなければならないかを告げず、また伝統も人間に何をなすべきかを告げることがなくなっている。」
「やがて人間は何をしたいのかもわからなくなり、ただ他の人々のするとおりにするだけになるであろう。つまり画一主義(コンフォーミズム)に陥ってしまうのである。」

「それは、このような何かからの自由を意味しているだけではまったくなく、何かへの自由、すなわちあらゆる制約に対して態度をとることへの自由をも意味している。」
「人間は、自由の次元へ飛翔するときにはじめて、本当の人間であることが証明されるのである。」
「人間は、あらゆる制約に対して態度をとる自由を有している」

「ロゴセラピーを中心にしながら、精神療法を実存分析へと、すなわち人間存在を責任存在へむかって分析するものとしての実存分析へと展開させねばならない」

「人生を無条件に肯定する世界観を与えうるような諸力」
「超意味への信仰は創造的である。真の信仰は内的な強さから生じるものであり、人間をより強くする。」
「一人の人間が生きた「物語」は、かつて書かれたどんな物語よりも、比較にならないほど偉大で創造的な業績なのである。」

「価値の感情に充ちた志向だけが初めて人間に真の「喜び」をもたらすのである」

「人間は任意に解釈する自由を有しているであろうか。むしろ人間は、正しい解釈をする責任を負っているのではないだろうか」

「人生においては意味付与が重要なのではなく、意味発見が重要なのである」

「その人が自分の使命圏をよく充たしているか」
「たとえ人生が創造的に実りあるものではなく、また体験においても豊かなものではなくても、なお根本的に意味に充ちたものである」

「態度価値」
「人間が変えることのできない運命に対してどのような態度をとるか」
「人間が運命をいかに担い」「いかに引き受けるか」
「新たな独自の価値領域、しかも確実に最高の価値に属するような価値領域が開かれる」
「最も偉大な価値実現の機会を有している」
「人間の生命は「最期まで」その意味を保持している。人間に意識がある限り、彼は価値に対して、少なくとも態度価値に対して、責任を担っているのである」

「つまり自殺は、起こった不幸や為された不正を世界から取り去るかわりに、自己を世界から取り去ってしまうのである」
「自殺を選ぶ人間は人生のルールに違反するのである。この人生のルールは、どんな犠牲を払っても勝つことを求めているのではなく、決して闘いを放棄しないことをわれわれに求めているのである」

「人生は本来、それが困難になればなるほど、それだけ意味に充ちたものになる」

「むしろ人間は人生から問われているものであり、人生に答えねばならず、人生に責任を持たねばならないものなのである。そして人間が与える答は「具体的な人生の問い」に対する具体的な答でしかありえない。」

「人間は不完全だからこそ、すべての個人は欠くべからざる存在であり、他と交換することのできない存在なのである」

「大衆の中へ逃避することによって、人間は彼の最も本来的なもの、すなわち責任性を失ってしまう。だが、人間がそこに置かれ、そこで生まれた共同体から与えられる使命に専心することによって、人間は責任を獲得するのであり、より厳密に言えば、よりいっそうの責任を獲得するのである」

「機械は規格化されればされるほどよくなるが、人間は規格化されればされるほど、つまり(人種的・階級的・性格的)タイプに埋没すればするほど倫理的規範から離れていくのである。」

「運命に対してあれこれの態度をとる自由だけは、最後の息を引き取るまで、誰もその人から奪うことはできない」
「いかなる場合にも、人間は、環境の影響に屈するか、それともそれに抵抗するかを決断する自由と可能性を有している」

「創造価値は行為によって実現され、体験価値は世界(自然・芸術)を自我の中に受動的に受け入れることによって実現される。これに対して態度価値は、変えることのできないもの、運命的なものが、まさにそのまま受け入れられねばならない場合に至るところで実現される。人間がこの運命的な事情をいかに自らに引き受けるかというその仕方のうちに、かぎりなく豊かな価値可能性が生まれるのである」
「人は創造や喜びにおいて充たされうるだけでなく、苦悩においてすらも充たされうるのである」

「人生の意味は問われるべきものではなくて、答えられるべきものである」

「人生は、無限に豊かな価値実現の機会をもっている」

「ロゴセラピーという場合のロゴスとは精神のことであり、さらに意味ということである」
「人間的存在は、いつもすでに自己を超えでているのであり、いつもすでに意味に向かっているのである」

「内因性抑うつ患者は、自分自身を無価値なものとして体験し、自分自身の人生を無意味なものとして体験する。その結果、そこから自殺傾向が生じてくるのである」

統合失調症的人間は、自分自身でも、自分が本来的に「実存している」とは思えないほど、その人間性全体を制限されたものとして体験するのである」
「患者自身が観察することを断念することによって、それに対応する受動的体験、つまり観察されているという体験もなくなったのである」

実存分析は「魂への配慮」である。

「人間存在は責任存在であると定義されうる以上、人間には、意味を充足する責任がある」
「実存分析が望むのは、まさに、この自分が責任存在であるという意識へと人間を導くことにほかならない」

「人格は快楽を求めるものではなく、価値を求めるものである」