図書館で借りて読んだ『すべてきみに宛てた手紙』(長田弘)。
そのなかの「手紙8」は何度も読み返した。短いので全文書きます。
「行きどまりと思ったとき、笑い声が聞こえてきた。北宋の詩人、秦観は一篇の詩にそう誌しています。
菰蒲(こほ)の深き処 地無きかと疑えば
忽(たちま)ち人家の笑語の声有り
マコモやガマが生い茂ったところへきて、もう行きどまりかと思ったら、突然人家があって、笑い声が聞こえてきた(松枝茂夫編『中国名詩選』)。
人びとの日常の明証としての笑い声。そうした笑い声をもつ世界のすがたを、あたかも行きどまりのようにおもえる現在の向こうに、あきらめることなくたずねること。
誰に言われなくともしなければならないこと、よくよく思いさだめておきたいことは、どんなときも、たぶんそれのみ。易しいようで、とても難しいこと。」
たちまち思い出すのは、ジェシカの笑い声、恵美子の笑い声、ジョイとグレースの笑い声。「もう行きどまり」と思ったあたりを、もう一歩先へ進むと、そこに子どもたちがいて、一緒に笑うことを思い出させてくれた。夜行列車のなかで、児童館で、フィリピンのゴミ山のスラムで。そして気がつくと、新しい道が見えていた。