薔薇の根


 庭のプランターの苺が色づきはじめた。最初の1個は子どもが食べた。明日ぐらいには、また何個か摘めるだろう。うれしい。「いちご、いちご、おみずどーじょ」と子どもが水やりしていた苺。

 つる薔薇の赤い花が咲きはじめた。去年は屋根の上まで伸びて、花の頃は、道ゆく人がふりかえってみるほど見事だった。でも雨どいに葉がたまって詰まらせてしまうので、ずいぶん枝を切ったから、今年はそんなに咲かないだろう。新芽は私が摘んで食べたし。

 5歳のときに引越した家に、父と母はつる薔薇を植えた。それは玄関前の小さな庭の、棕櫚の木の傍らあたりに植えられて、やがて家の入り口にアーチをつくった。花の頃に、学校に行くとき帰るとき、赤い薔薇のアーチをくぐるのが、楽しかった。
 10歳のとき、薔薇の花ざかりの頃、玄関前の庭をつぶして、風呂場をつくることになった。それで、薔薇を植え替えるために、父が鍬をふるった。
 にぶい音がして、父の鍬に砕かれたのは、薔薇の根にちがいなかった。たいへんなことになった、と思った。でも父は、「これは薔薇やないが」と言った。かたくなにそう言い張った。
 翌日には、薔薇はしおれはじめていた。3日後には、薔薇の花びらは茶色くかさかさになっていた。薔薇はもう枯れたのだ。母が枯れた薔薇の花びらを摘みながら、それで私の枕をつくってくれる、といった。母は母なりに、すっかりしょげてしまった私をなぐさめようとしてくれたのだろう。でも、枕にするほどたくさんの花びらはなかった。

 もしかしたら、父の記憶には残っていないかもしれない、なんでもない出来事なのだが、私が最後まで記憶する父は、あのとき、これは薔薇ではない、と言い張った父の姿だろうという気がする。それはどこかで、私自身の姿でもあるようなのだ。

 あのとき、また新しい薔薇を植えればいいのだ、とは、誰も思いつかずにいた。