ろけっと、とんだ


 夕方、台所にいると、「ろけっと、とんだ」と子どもが言いにきて、何かと思って見に行くと、テレビの画面でたしかにロケットが飛んでいた。北朝鮮のミサイルが発射されたというニュースだ。
 「そうだね。ろけっと、とんだね」

 高校生のとき、ソウルの大学生と文通していた。私が文通をはじめたとき、母が思い出したように話してくれたのは、最初の夫が病気で死んだ後、子どもを里に預けて大阪で働いていたときに、朝鮮の人にプロポーズされた、という話。自分は今度朝鮮に帰国する。一緒に来てほしい、と言われたというのだ。母が私には子どもがいる、というと、向こうも子連れだったらしく、ちょうどいい、と言われたけれど、言葉もわからない、よその国へ行けないよね、と母は言った。
 北朝鮮への帰国事業がはじまっていた頃だ。もし母がプロポーズを受けていたら、日本人妻のひとりになっていたのだろう。

 ろけっと、とんだ。脅威よりもむしろ、痛ましさを感じる。そして、国と国との間で引き裂かれるのは、いつも生身の人間だ。