オオカミ VS おにいさん

 ちびさん、言い出したらきかない。きみはママを家来だと思っているだろう。右手人差し指を動かして、「ママ、こうしてこうしてこうしてこうして」と移動経路を指図し、おもちゃをとってこい、と言うのだ。いやです。
 それでちびさん、思い通りにならないとかんしゃくをおこす。奇声をあげる。それで私も一日に一回ぐらいは、ヒステリー起こしてる。ドクターは、お母さんのヒステリーはいいかもしれませんよ。子どもにも感情がはっきりわかって、と言ってくれたので、自分がヒステリーおこしたぐらいで落ち込まないことにした。
 
 わがままとかんしゃくがとまらないときは、「オオカミ」と言ってやる。「おまえ、オオカミだ、オオカミになってる」
 これはきく。お話のなかでも、オオカミはいじわるな役だから、そのオオカミが自分だというのはつらいらしく、しゃくりあげながら「オオカミじゃないの、おにいさんになるの!」というのが、もうとてもかわいい。
 悪いモデルはオオカミなんだが、いいモデルは「おにいさん」で、「おにいさん」は、やさしくて強くて、いろんなことを知っていて、思いやりがあるのだ。「そっか、おにいさんになるのか」と言うと、さっきまでのかんしゃくはどこへやら、つかのま、とてもききわけのいい子が出現する。つかのま、だが。
 
 ごはんのとき、いつものことなんだが、呼んでも呼んでもこない。来ても、口のなかに食べ物をつめこむと、また向こうの部屋に行って遊びだす。「来ないとなくなるよ」と脅さないと、戻ってこない。でも脅しても戻ってこないし、何やらぶつぶつ言っているし、と思って見に行くと、本を読んでいる。
 
 「ひがしにびょうきのこどもあれば、いってかんびょうしてやり、にしにつかれたははあれば、いってそのいねのたばをおい……」
 
 「雨ニモ負ケズ」だ。「声に出して読みたい日本語、子ども版」の絵本。そんなものを読まれては、叱るこちらが悪いような気がしてくる。思わず耳をすませてきいてしまった。
 
 「……そういうものにわたしはなりたい」
 
 ちびさん、それは、宮沢賢治という、とびっきりすてきな「おにいさん」です。