明るい未来

さて、おかあさんケロロ!の絵。クルルくんとタママくんもいる。
母の日のプレゼントだよん(と、ちびさんが思っているかどうかわかんないけど)。幼稚園からもって帰ったのを壁に飾りました。
ママは、ケロン星人なの? ときいたら、「うん、そうなの」だって。それで、パパもぼくもケロン星人なんだって。

午後、幼稚園にお迎えにいくと、ちびさん、教室の外をひとりで散策中。手も、顔のあちこちも緑色に染まっている。マジックみたいだったけど。ケロロになっていた。緑の顔にはバンソウコウ。緑の手にもバンソウコウ。なんか、笑ってしまう。
みんなは教室で先生に絵本を読んでもらっていた。そらまめの話が終わるのを待って、うちのケロロを連れ出す。そのまま、療育センターへ。

新しいドクターだったけど、よく理解してくれていて、話しやすかった。半年間の変化や、幼稚園での様子について、など。
とても順調にいっていますね、ということだった。こわがりになったりしているのも成長しているからだし、幼稚園の対応も適切でしょう。
忘れないうちに書いておこう。

○集団行動への参加は、無理はせず、子どもにとって納得のできる手続きを踏むことが大事、見えないものに対する不安は大きいので、視覚支援もあったほうがいいでしょう。

○変わっている、ということが、いじめにつながるような事態は絶対に避けたいので、幼稚園の間は、他の子どもたちに対するフォローを担任の先生にしてもらうことが必要でしょう、その場合に本当のことをいう必要はなくて、みんなと一緒に行動したり、上手にやりとりをしたりできないけれども、みんなへの好意をもっているということを、先生の口から話してもらうのがいいでしょう。

○小さい子扱いされたり、お世話係りが出てくるようなことも避けたいので、得意なことで、この子はここがすごい、と一目おかれるような場面が出てくれば、男の子はそれで、小学校ぐらいまでやっていけるでしょう。(女の子の場合は、それほど単純ではないらしい。)

ちびさんが、みんなと一緒に歌ったりお遊戯したりできない、テレビなどでも、歌は好きなのに、子どもたちが歌ったりしている場面はこわい。ひとりでは歌うし踊るのに、みんなとはできない。でも幼稚園なんて歌ったりお遊戯したりばかりだから、どうすればいいんだろう、と思っていたんだけれども、「あとどれくらい我慢すれば終わるか」という見通しがたてば、すこしは耐えやすくなる、と先生。
つまり、絶対音感もあるかもしれないし、聴覚過敏なので、不協和音に耐えられないのです。で、小さい子どもの歌なんていうのは、不協和音でしかないし、自分が歌っても不協和音になるから、だから駄目なんです。
子どもたちの歌が、たとえばウィーン少年合唱団みたいなら、気持ちよくその場所にいられるはずですよ。でも現実はそうではないので、まわりの子が成長して不協和音が小さくなるのを待つしかない。小学校ぐらいになれば、すこしは耐えやすいレベルになります。

謎が解けた。

ということは、発達障害の子どもが生き難いのは、その子に障害があるからではなくて、この世界が不協和音に満ちているから、なのか。

調和世界を目指して生きるべきだね。

ということは、たぶん、生きやすさを求めることと、一流を目指すこととは、同じことになるのだろう。このような子どもたちにとってはとりわけそうだろう。

ちびさんがパソコンでかいた絵、一年分、印刷したのを見てもらったのだけれど、ドクターが驚嘆していた。日本地図なども見ないで書いていると言ったら、その記憶力と把握力に。「カレンダーとかもわかるなら、親のスケジュール管理もしてくれるようになりますよ」と言う。いまも自分のスケジュール管理は自分でしようとするし(変更のあるときにいちいち説明しなければならないのが面倒だけど)、県名も国名もよく知ってるので、わからないときはこの子に聞けばいいので、便利。

「未来は明るいですよ」と最後に言われて、ふわあっと気持ちが軽くなった。

熱さましの薬処方してもらって、半年後にまた診察受けることにして、帰る。

DVDを見るだけ、というのでなければ、どんな遊びも指を動かすし成長につながるので、しっかり遊んでください。幼稚園でできない遊びは家でおぎなってください、ということなので、せっかく敷きっぱなしのふとん、くすぐったり転がしたりして遊ぶ。
それから、ジュースのませごっこ、して遊ぶ。「レモンジュース、もっとのむ?」「もっとのむ!」「もっと?」「もっと!」「もっと?」「もういや、すっぱいすっぱいよう」みたいなやりとりを、なぜか英語でするんです。(頭のなかにいくつかの構文と30個かそれ以上くらいの単語は入ってるみたいで、しきりにそれを使いたがる。)「more」のたたみかけに大興奮だった。
昔、フィリピンで、5歳か6歳のグレースと、そんなやりとりをして遊んだのを、どうしていま、しかも日本で、息子相手にしているのか、なんかとっても不思議な気持ちになった。