津和野/生まれる前に

山口からは、津和野に遊びに行くのが楽しい。(津和野は島根県ね)。山の上の道から、すり鉢の底に降りていくように町に降りると、確実に数十年は、タイムスリップする感じ。
森鴎外西周の旧宅などいろいろ史跡もあるが、子どもの目的はまず、SLやまぐち号(冬場は運転しないので、今回はなし)ついで、道端の川の鯉にえさをやること。それにしてもまるまる太った鯉だこと。いつもものすごい勢いで食いついてくるのが面白いのだが、寒いせいなのか、なかなか餌のほうをむいてくれず、拍子ぬけするほど、のんびりしていた。
12月24日。観光シーズンでもないのだろう。町は閑散としていた。ちびさん、寒いのに、アイスクリーム食べたがる。

子どもが生まれる前に、春に遊びに来たことがある。そのときに買った和紙の人形を台所に貼ってあるのだが、ちびさんがそれを、いつ津和野で買ったのかと、不思議がる。りくが生まれる前だよ、と言うと、どうやら生まれる前、というのが、納得できないらしいのだ。「うまれるまえって、なんさい?」と訊いてくる。生まれる前だから、歳なんかないよ。0歳よりもっと前。「ぜろさいよりまえは、なんさい?」だから、歳はないの。きみがまだいないころだよ。りくはいなかったの。パパとママとだけが、遊びにいったの。
するとたちまち、顔がくずれ、「えー、ぼく、そんなの、いやだあ」と泣くのだった。
だって、いなかったんだもん。連れていけないよう。

生まれる前、というのは謎である。篤姫の総集編見ていたら「これはどこ? いつなの? いま? むかし?」ときいてくる。これは江戸、ずっと昔の東京、というと、「むかしって、いつ? ぼくがなんさいのとき?」と聞くのだ。きみが生まれるずーっと前、パパやママが生まれるよりもずーっと前。昔むかしだよ。

むかし、という言葉につられて思い出すらしい。「げんばくはむかし?」。そうだよ、昔。「ぼくがなんさいのとき? 2さい? 1さい? 0さい?」
だからっ。きみが生まれるずーっと前なんだってば。

どんなふうに理解していくんだろうなあ。きみが生まれる前にも世界はあったし、きみが死んだあとにも世界はある。きみがいなくても世界は動くし、でも世界は、きみの思うままなんだよ。