蛍飛びはじめた。もしかしたらもっと前から飛んでいたかもしれない。
昨夜、ゴミ置き場のうしろの森のあたりで、3匹ほど光っていたのを、子どもと一緒に見た。



「ブンガワンソロの入ってるCDをもっていたでしょう」と昔、しばらく一緒に暮らしたことのあるお姉さんから電話。このお姉さん、やたら記憶力がいい。送ってほしいというのでダビングして送る。一緒に暮らしているつれあいの父親(認知症)が昔、南方戦線にいたらしいのだが、ブンガワンソロを原語で歌うのだそうだ。

この認知症のおじいさん、ショートステイ先で問題起こして(以前も書いたので省略)行く先がない。デイサービスを利用しているが、世話しているお姉さんも在宅療養中の病人で、もう限界。寝たきりならまだいいが、元気で動き回るし、息子とけんかもする。
医者に相談したら、あとは精神科しか残ってない、と言われた。医者は紹介状書こうか、と言ってくれて、実の息子と娘も、それでいいと言っているが、病院に入ったら酒も煙草も駄目だろう、あんまり不憫で、紹介状もらいに行くのをまだためらっている。

うちの近所にも、精神科に収容されてそのまま亡くなったおじいさんがいたらしい。精神科に入ったらもう出て来れん、注射打たれて殺されるんじゃないか、と老人会あたりで冗談でもなく話題になったりする。殺されるわけではないにしても、暴れないように注射打たれるかもしれないし、檻のなかにいれられるかもしれないし。

人間の生老病死の凄まじさは。



それが蛍の季節だったかどうかはわからないけど、蛍見ると思いだす。6歳の夜に、「どうしてわたしはここに生まれたのか」と母に聞いたら、「あんたがここがいいと言ったのよ」とあっさり言われて、いやそんなおぼえはないんだが、と思いつつも、でもそうかもしれないと、納得していた。私が、えらんだのだ。
ふりかえって思えば、たぶん、あのときに、自分の不幸を他人のせいにしない、という精神は叩き込まれたと思う。それは母に永遠に感謝だ。
何が幸福で何が不幸かはわからないが、自分の不幸を他人のせいにしている間は、不幸にしかならないというのは確かなことだと思う。たぶんそれって無間地獄だ。

「こんなところが、なんでよかったのか知らんけど」とあのとき母は言ったんだけど、いやまったく。ちびさん、こんなところが、なんでよかったのか知らんけど。

蛍だねえ。