5月の雨

気がつくと5月も終わる。いろいろあるようなないような、日々が過ぎる。でも容赦なく日々は過ぎていて、こんなだらだらした一日一日も、取り返しようのない日々になるのだろうなと、息をひそめて思っている。

コロナの緊急事態宣言で、さらに延長で、またリモートとか分散登校かしらと思ったら、受験生だけは、登校するということで、あまり変わりがない。放課後図書室で勉強してから帰ってくる。家だとごろごろ寝るので、私がもう起こすのがいやなのだ。

予約奨学生の手続きについて。書類その他。奨学金なしで大学へは行けない。学資保険がなんとか満期までたどりつきそうで、それが生活費に消えてゆかないとも限らないんだけれども、でもきみはなんとか、進学できるはず。勉強すれば。

心配しても心配しても、手の届かないところにいる。それでも見かねて、ここしばらく、古文文法の復習につきあっている。なつかしいようないまいましいような。


『父を撃った12の銃弾』というタイトルの、ハンナ・ティンティの小説が、めっぽう面白かった。ハードボイルドでミステリー風だが、父と娘のルーと、死んだ母についての、家族の話でもある。

母が、娘のルーに洗礼を受けさせる理由を、こんなふうに語った。

「もし天国と地獄があったときのため。この子を煉獄行きになんかしたくない。絶対名前が呼ばれない待合室にいるようなものよ」

 

ずっと忘れてた記憶がさああっと蘇ってきた。耳に水音が聴こえて。私、名前を呼ばれない待合室にいた。18歳の5月の雨の日。

大学に進学した春。どこにどんな風に自分を落ちつけていいかわからなかったころ。寮の2人部屋はしんどくて、でもしんどさに気づかずにいた。アルバイトははじめていた。友だちはできていたようでもあった、新しい人間関係にとまどってもいた、そんなころ。とても疲れていた。何日か講義が休みになったので、帰省した。母の具合が悪いと聞いたので。

帰省して、父や兄は仕事があるから、私が母を病院に連れていった。受付の仕方が分からなかった。名前を書いて、待合室で待っていて、と言われた。
待っていたけれど、いつまでもいつまでも名前を呼ばれなかった。雨が降っていた。タクシーを降りたときは、ひとりで歩けた母が、待っている間に、もうひとりではすわってもいられないほどになっていた。窓の水滴を見ていた。世界が雨にただれて崩れ落ちてくように見えた。母がかたちをなくしていくように見えた。

あとから来たはずの人が次々と呼ばれるのに、私たちは呼ばれなかった。ずいぶん経ってから、渡された券を、受付の箱の中に入れるみたいだ、とようやく気づいた。箱に入れる、とは言ってもらってなかった。けれど、私の落ち度だった。そのせいで、母がこんなにこわれはじめてる。
……それで、思い出さないようにしていたのだ、きっと。

私が診察券を箱に入れなかったから、私たちはいつまでも名前を呼ばれない待合室にいた。母が私にもたれて、たよりなくたよりなくすわっていた。

隣のおばさんが心配してきてくれたのだと思う。ようやく名前を呼ばれたとき、診察室にはおばさんと入っていったから。それから脳外科にまわされて、そのときはもう車椅子に乗せられていた。脳腫瘍だった。そのまま母は入院して、半年後に死んだのだけれど。

まさか、あの待合室を思い出すなんて。あんなに悲しい時間。

18歳の子には言ってやらなければいけない。あんたのせいじゃないわ。世界がこわれてしまったのは。

 

庭のつる薔薇が花盛り。子どもの頃住んでいた家に、つる薔薇があった。入り口にアーチになっていて、花が咲くとうれしかった。あるとき父が、庭に風呂場をつくるためだったけれど、植えていた植物を移そうと鍬を入れて、誤って薔薇の根を砕いてしまった。根を砕いた、花が枯れる、と心配している私に、これは薔薇じゃない、と父は言ったのだ。でも、薔薇の根っこだった。ちょうど花盛りだった薔薇が、数日のうちにみるみる枯れてゆくのが悲しかった。

この家に来たとき、子どものときのあの枯れた薔薇が、蘇ってきたみたいで、嬉しかった。20年咲き続けている。車庫の上につる伸ばしっぱなし。薔薇の花とドクダミと摘んで、てんぷらにした。おいしかった。

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