「病める庭園」

   「病める庭園」   丸山薫

静かな午(ひる)さがりの縁さきに
父は肥つて風船玉のやうに籐椅子にのつかり
母は半ば老いて その傍に毛糸を編む
いま春のぎやうぎやうしも来て啼(な)かない
この富裕に病んだ懶(ものう)い風景を
誰れがさつきから泣かしてゐるのだ

 オトウサンヲキリコロ
 オカアサンヲキリコロ

それは築山の奥に咲いてゐる
黄色い薔薇の葩(はな)びらをむしりとりながら
またしても泪に濡れて叫ぶ
ここには見えない憂鬱の顫(ふる)へごゑであつた

 オトウサンナンカキリコロ
 オカアサンナンカキリコロ
 ミンナキリコロ


14歳だった。中学三年。ノートに読んだ詩や小説の文章を書き写す、ということをはじめた。最初のノートの、最初のページに書いたのが、この詩。兄のもっていた中央公論社「日本の詩歌」全集(のなかの、失われずに残っていた数冊)のなかにあった。大正15年に発表、昭和10年刊行の詩集「幼年」所収。

はじめてこの詩を読んだときの、ぐらぐらする気持ちをまだ覚えている。聴いてはいけない声を聴いてしまった、とこわかった。

<読まなければ気づかなかったのに、読んでしまったので気づいてしまった。「キリコロセ」という言葉を読むのがとてもこわくて、けれどもそれも、私の心のどこかにひびいている声なら、気づかなかったふりはできない。そんなふうに、心のなかにやきついてしまった詩。>

と、前にもブログで書いたけど。

中三少女が父を刺殺した。動機なんてあるだろうか。
少女の内面にあるだろうか。あるとして、それは少女のものだろうか。

  この富裕に病んだ懶(ものう)い風景を
  誰れがさつきから泣かしてゐるのだ

というフレーズが、しきりに思い出される。

  誰れがさつきから泣かしてゐるのだ

父を刺す夢なら私だって見た。私の見た悪夢は、時空を超えて別の「私」の現実である。震える。

魔物が、高笑いしてるだろう。