自分ものがたり

終業式。荷物たくさんあるし、雨だし、坂道たいへんだし、迎えに行ってやる。2年生も無事に終わった。ここんとこまたSくんと遊んでいて(「今度こそSくんは本当に反省したんだ」と言ってる。何度目かわかんないけど。)人間関係も落ち着いているようで、終わりよければなんでもいいわ。
療育も行って、耳鼻科、歯科、小児科、皮膚科ぜんぶ行ったし、あと来週、予防接種をもう一回受ければ、病院まわりも一段落。4月からは医療費免除じゃないので、いまのうちいまのうち。

あれこれもって帰った作品のなかに「自分ものがたり」というのがあった。
生活科の授業で自分の成長史を親に取材してまとめたんですね。こんなふう。

☆☆

(名前にこめた思い・ねがい)
「陸」は人が生活する場しょ、「史」はれきし。この名前はせかいと人間をふかく知って、アジアやせかいの人びととなかよく生きるようにというねがいです。李陸史というし人の名前でもあります。

(生まれたとき)
小雨の朝に生まれた。休みの朝で、いしゃはねむそうで、かんごしはそうじをしていました。生まれてすぐに母さんのおっぱいをのみました。みんな大よろこびでした。いしゃがキスしてくれました。その時は少し顔を赤くしました。(とぼくはそうぞうします。)

(0~1さいのころ)
ベビーベッドがきらいで、入れられると「ぶーぶー」文くを言い、さくをかじりました。ふすまをぜんぶやぶりました。それにくわえて本もやぶりました。はとを見ると「ワンワン」と言っておいかけていました。車や電車がすきでした。

(2~3さいのころ)
時計を「チクチクボン」こいのぼりを「コイボビー」と言いました。ひらがなが読めるようになりました。父さんのパソコンであそんでこわしました。母さんのパソコンでも絵をかいてあそびました。(母さんのはこわしていません)日本、せかい地図のパズルがすきでした。

(4~5さいのころ)
年中さんのときは毎日教室をだっ走して、ほけん室に行ったり、ザリガニにえさをやっていました。年長さんになったらだっ走しなくなりました。しょうじ紙に絵をかいて、赤ちゃんのときにやぶったふすまにはりました。電車や船を空きばこでたくさん作りました。

(1年生のころ)
入学した時、べん強がほとんどむずかしかったと見えましたが、少しずつなれてきました。夏休みには100㎞以上はなれたところにあるうわじまへ行きました。3月からは東京などの大と市にきょうみをもちました。

☆☆

よくできましたっと。
教科書、ノート、絵、プリントの類、米袋に詰め込んで押し入れにしまう。これで机まわりはすっきり、のはずだが、全然すっきりじゃない。残っているおびただしい紙くずの都市と電車は、子どもが見ていないときにゴミ袋のほうだな。

ふしぎな卵から大都市が出てきた、という絵。私はあんたが、ほんとにふしぎ。
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