アフリカ難民の本の次のくだり。

 アフリカを脱出するものは、自身の経歴を変更する。最良の物語は同情を呼び、間違った物語は強制送還につながる。「いったん嘘の物語を語ってしまうと、人はそれに囚われて抜け出せなくなる。」「ぼくたちアフリカ人は嘘の世界に生きている。ぼくたちが自分の真実を見失ってしまうのは、一度嘘をつくと、その後は自分たちのことを誰にどのように物語ったか、いつも気にしていなければならないからだ」

難民の嘘のつきかたって、なんか政治家みたいと思った。
政治家の嘘のつきかたが、難民みたいなのか。
最良の物語は票を呼び、でもそれをいつまでもおぼえていられない。
忙しいだろうしね。
票ほしさに何でも言って、何にもほんとうにできなかった、何が自分たちのほんとうだったかも、もうわかんないよね。

うさんくさいなあ、と、去年の政権交代の選挙のときに思ったのは、昔、パヤタスの支援に関わる前に、そこで失敗していた自立プロジェクトの一件を思い出したからだ。聞こえのいいもっともらしい言葉と、現場とのずれ。人々に与えた大きな期待と、そのあとの大きな困窮。

去年の選挙はあのときの空気感と似ていて、失政は、だから、ああやっぱり、としか思わないんだが、いいわけはほんとうに聞きたくない。

というわけで、テレビのニュースとか見ないんだけど、たまに見ていても、政治家の声が耳に入ると、もう耳がいやがる。ので、すぐに消す。政見放送も聞かず、新聞も見ないで、明日、選挙。

政治家本人の言葉より、支援する身近な人たちの言葉を聞いたほうが、地縁血縁、友人、友人の友人などなど、たとえだまされるにしても、だまされがいがあるというもんだと、最近思う。