曇天の運動会とつばめ

1年生のときに買った体操服を、3年間着てくれたが、さすがに、小さくなったので、新しいのを注文して、届いて、新品着てゆきました。
運動会。
例年、秋なのだが、今年は学校の耐震工事があるので、この時期に。

子ども、「なにかとんでもない弁当」がほしいと言ったが、卵焼きをハートに並べるくらいしか思いつかん。おむすびを丸く真っ黒に海苔で巻く。これ爆弾。こないだきみが話していた、ノーベル賞の、ノーベルのダイナマイト。

子ども、綱引きして、民謡踊って、かけっこして、がんばりましたっと。
児童数、多いので、豆粒みたいな子どもの姿を探して、目で追いかけて、見失ったりしているうちに、終わるけどね。
見ているだけだが、疲れた。
途中からものすごく眠くなって、がんばって起きてるけど、頭はもうぼんやりしてきて、目の前の光景が、1年生2年生の小さいのが飛び跳ねてるのが、小人の国の話みたいで、現実のこととも思えなくなってきて、だいたい、この運動会の光景全部が、なんか集団催眠にかけられて見ている夢のような、そんな感じがしてきた。

小人が飛び跳ねているのを、なんで私、見ているんだろうな、みたいな。

曇天。
閉会式の頃から雨降り出す。どうにかお天気もって、よかった。



帰りの道で、つばめの巣みつけた。Cimg2954


写真撮っていたら、ちょうど親鳥が餌をはこんできた。

その写真見て、子どもが「ママ、ロバート・キャパみたいだよ」と言った。「キャパは、目の前で撃たれる兵士を写真にとったんだよ。それがちょっとピンぼけだったんだ」
つまり、ちょっとピンぼけの写真だと言いたいんだな。

こないだ、こども歴史人物新聞、かな、そんな子ども向けの本のなかに、ロバート・キャパのページがあって、そのページにあった言葉を、彼はえらく気に入っていた。
ロバート・キャパ。職業、戦争写真家。ただいま失業中。」

失業中、っていう言葉が、とてもしあわせそうだね、って話をしたんだけど。

キャパの「ちょっとピンぼけ」という本を読んだのは、中学2年のときだ。内容は、覚えてないが、図書室の棚にどんなふうにならんでいたか、どんなふうにそれを手にとったか、
それからその本を、なぜか学校の靴脱ぎ場に座り込んでずっと読んでいたことを、覚えている。
(そのとき私は、ピンぼけという言葉も知らないし、これが写真家の話だということも、写真家という仕事があることも、知らなかったんだ)

私のピンボケ写真を、キャパみたいと言ってもらえることって、二度とないと思うので、あんまり貴重なセリフなので、記録っと。

つばめ。

大阪の餓死した母子の事件は、戦慄したが、ほんのちょっと、人生のボタンをかけちがえたら、だれでもそうなりかねないようなことだと思う。ならずにすんだら幸運なのだ。オスカー・ワイルドが「幸福な王子」の物語を書いたのは、こういう母子が、現実にたくさんいたからなんだろうな、と思った。

それは物語の世界の話、と高度経済成長以降に育った私たちは思ってきた。
でも、それは現実社会の話なんだ。
そのあたり、なにか感覚の狂いのようなものが、ある気がする。

つばめは、ほんとに軒低くとぶ。軒低く飛ばないと、役に立たないんだよね。
幸福な王子のつばめ。