本読んでいて、釜山駅に着いたことに気づかずにいた。
掃除のおばさんに声かけられてあわてて降りる。まだ3時。出航まで時間があるので、地下鉄でチャガルチ市場まで行く。ここでロッカーに荷物をあずけて、国際市場へ行こうと思ったのだが、ロッカーは使えないって、「日本語ガイド」のたすきをかけたおじさんが言う。何か国際大会があって、たくさん人が来て、それでもうすべて使ってしまっているんだそうだ。
リュック背負ったまま歩くことにする。
地下鉄出口近くの通路に段ボールハウスあり。ソウルでも、駅ごとにホームレスのおじさんたちがいた。マッコルリとカップラーメン抱えてすわっていたりした。これから寒い季節になるなあ。
掃除のおばさんに声かけられてあわてて降りる。まだ3時。出航まで時間があるので、地下鉄でチャガルチ市場まで行く。ここでロッカーに荷物をあずけて、国際市場へ行こうと思ったのだが、ロッカーは使えないって、「日本語ガイド」のたすきをかけたおじさんが言う。何か国際大会があって、たくさん人が来て、それでもうすべて使ってしまっているんだそうだ。
リュック背負ったまま歩くことにする。
地下鉄出口近くの通路に段ボールハウスあり。ソウルでも、駅ごとにホームレスのおじさんたちがいた。マッコルリとカップラーメン抱えてすわっていたりした。これから寒い季節になるなあ。
国際市場へ。とにかく歩いて大庁路という通りまで。27年前、ここから私の旅ははじまったのだ。この通りから、国際市場のほうへすこしはいったところに、私が学生たちと出会った日本語学校があった。どの路地だったろう。どのビルだったろう。27年たって、そこに学校があるはずもなく、学校の看板も残っているはずもないだろうに、さがしている自分の気持ちがなんだかあぶない。すぐそこのビルから、学生たちが出てくるような気がする。近くに喫茶店があって、喫茶店のテレビで、野球観戦していたあの喫茶店が、どこかにあるはずだって、そんな気がしている。
どこかの路地だった。次の路地、次の路地、と見ていくけれど、でもどこの路地かもうわからない。
☆☆
2度目に来たとき、1985年の夏、船のなかで岩手県から来たというお兄さんに会った。小学校の先生だった。黒田三郎の詩の話をした記憶がある。彼の卒論が黒田三郎だったのだ。ちょうど谷川俊太郎の「耳をすます」って詩集が出たころで、私も読んでいたけれど、長い長いその詩の暗唱を小学校3年生の夏休みの宿題にしたんだって言っていた。
耳をすます。
昨日の足音に耳をすます。
そんなフレーズがあったっけ。なかったっけ。
岩手県のどこだったろう。まだ小学校の先生をしているだろうか。震災は、大丈夫だったろうか。
先生とは港で別れた。港には、私は友だちが迎えに来てくれていた。前の年に来たときに会った。オッパヤー(お兄ちゃん)って呼んでいた年上の友だち。2度目に来たときは、オッパヤーと酒ばっかり飲んでたなあ。オッパヤーの家に泊めてもらって、オッパヤーのお母さんと一緒の布団で寝た。オッパヤーの家には日本文学全集があった。オッパヤーは加山雄三の歌が好きだった。ああ、古典的。
でも私はパンソリのテープを探したりしていて、そんなもの聞くのかって顔された。私のほうがもっと古典的。
☆☆
国際市場のなかを歩きまわって、あれこれ小さな買い物をする。くるみとか、ピーナッツとか、座布団カバーとか、子どもの帽子とか。そいで、小さなものもたまると重い。
チャガルチ市場に行くと、魚を売っている。ちりめんじゃこがほしかったけど、ちりめんじゃこ売り場におばさんがいない。なぜかいない。これ以上歩くのもしんどいので、あきらめて地下鉄に乗って、港へ行く。
荷物、酒なんか買うからだな。重たい。
……思い出した。最初に来たとき、日本語学校の先生が、土産にお酒くれた。それがもう、重くてたいへんだった。
☆☆
港でオッパヤーが言ったんだ。「きみはこれから大人になるし、 恋人もできるし、そしたらもう、オッパヤーのことなんか忘れるよ、きっと。」
忘れないよ。それにまたすぐに、遊びに来るよ。
って、私は言ったんだ。オッパヤーのことは忘れないけど、それっきり26年過ぎてしまった。きっともう、オッパヤーこそ私を忘れたよ。
港で、またすぐに、ここに来るような気がしている。だってこんなに、海つづき、こんなにすぐ近く。
26年前も、そう思ったんだなあ。