2006-01-01から1年間の記事一覧

おもちゃ屋のはしご

朝夕寒くなってきた。冬支度を急がなければ。 デパートのキッズコーナーは、まず例外なくおもちゃ屋の近くにあり、おもちゃ屋では、見本の機関車やレールのおもちゃで遊べるようになっていて、子どもはそこに貼り付いて動かない。他の子がいても一緒に遊ぶで…

跡形もなく

長田弘『知恵の悲しみの時代』は、古い本のなかに、戦争の時代がかき消してしまった、そして忘れられていた大切な声を、ひろいあげていて、心にしみる。 あとがきの言葉を借りれば、<昭和の戦争の時代を「知恵の悲しみの時代」として、その時代に遺された本…

秋刀魚

一昨日の夜は義母がきていたので、ひさしぶりに外食。自分でご飯をつくらなくていいのはしあわせだ。テーブルに蝋燭がともされていて、子どもはそれを吹き消したがる。太い蝋燭なので、誕生日ケーキのようには消えず、ゆらゆらゆれる。そのゆれるのがたまら…

カムパネルラ忌

11月は、灰色の空と、紅葉の木々。11月はときおり空気が冷たく、季節が、終わりへ向けてひた走る。 11月はどういうわけか、好きな人たちの誕生日と命日がひしめいていて、そのせいなのか、11月の空気は、生まれる前や死んだ後につながっているような…

石の上に

雨上がりの朝、外に出てみると、向かいの森の紅葉は一気にすすんだようで、雨に濡れた赤や黄色の葉がきれい。3年前、子どもが生まれて、退院して帰ってきたとき、こんなふうだった。たった1週間で、秋が深くなっていた。 石の上に秋の鬼ゐて火を焚けり 富…

先生のいた教室

気がつくと、高校1年のころのことを、ぼんやり思い出したりしている。たいした進学校でもなかったし、市外の田舎のほう、海や山のほうから来ていた生徒も多くて、素朴だった。なんていうか、山や海やみかんや魚の匂いがするようだった。いちおう選抜クラス…

窓 開け放たれた窓を外部(そと)から見る者は、閉ざされた窓を透して見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。蝋燭の光に照らされた窓にもまして、奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、まどわし多いものはまたとあるまい。白日の下に人の見得るものは、常…

いつのまに

7日、子どもの3歳児検診に行く。小さい赤ちゃんたちがたくさんいて、ほんのちょっとまえまで、自分も赤ちゃんを抱いていたのだと思うと、不思議なようだった。今つれているのはすでに赤ちゃんではない。検診のついでに栄養指導も受ける。この部屋で栄養指…

やりきれないのは

やりきれないのは、その死が自殺であったということに尽きる。結局、履修不足はないとしていたその高校も履修不足であったのだし、整合性がない、生徒に説明がつかない、と悩んでいたと、ニュースに出ていたけれど、先生やっぱり死んだらいけん。先生の高校…

先生の自殺

今、ネットでニュースを見た。涙がとまらない。愛媛の高校の校長が自殺。何げなく読みはじめて、息がとまった。まちがいない。私の、高校一年の時の担任だ。政岡博先生。国語(現代文)の担当で、私は先生の授業を大好きだった。芥川龍之介の「花火」(というタ…

ある書評

読売新聞の最近の書評がネットで読めることは少し前に知った。これは便利で嬉しいけれど、いい書評だけを選んで載せているわけではないようで、もう過去の方角へ行ってしまっているから書きますが(でも検索すれば出てくるけれど)、『シモーヌ・ヴェイユの哲…

ワンワン

一昨日だ、夕方、運動公園で遊んでいたら、隣の団地の顔見知りの人が、バイクに犬を乗せて連れてきた。「ワンワン」と子どもは喜ぶが、その程度のことではすまなかった。 小さな柴犬の大好きな遊びは、投げられたボールを拾いに行くことで、それが山の急な斜…

漢字の宇宙

学生の頃、中国語学の講義に「説文解字」というのがあった。漢字だけの文献のコピーを渡されて、それを読んでいくというものだったが、「告」という字は牛が口をうごかすことによる、というふうに、文字の成り立ちについて書いてあるようだった。あとは眠か…

「泣きながら生きて」

中国人留学生の姿を追ったドキュメンタリーシリーズの最終回、「泣きながら生きて」を見た。 http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html 圧倒的だった。青春期を文化大革命で学ぶことができず、人生をやりなおすために、家族をおいて…

おさない よろこび

おさない よろこび ウィリアム・ブレイク まだ名がない 生れて たった二日(ふたひ) では おまえを何とよぼう あたいは楽しい よろこび が あたいの名 ゆかしいよろこびよ おまえの上にあれ かわいい よろこび 生れてたった二日の ゆかしいよろこび ゆかしい…

にんげんのこども

みかん 楠 繁雄(10歳) ちいさいみかんは みかんのこども ぼくは にんげんのこども 『どろんこのうた』(沖野猛編著、1981年出版)より。 みかんの時期になると思い出す、大好きな詩だ。『どろんこのうた』は、野村学園(愛媛の知能障害児施設)の子どもた…

世界史

高校の履修不足の問題のひろがりには驚いたけれど、そうなったのも仕方ない気はする。地方の高校で塾にも行けなかった自分のことを振り返っても、受験勉強といったって学校の授業が頼り。履修する教科を減らしても、受験対策に配慮してくれるのは、もしかし…

呪文

ハローウィンなどというものを知ったのは、海外の小説を読みはじめた10代の頃だが、目や鼻や口のかたちをくりぬいたかぼちゃの絵とともに、それがすこし実体をもって感じられるようになったのは、ごく最近のような気がする。どんな実体か、というと、おも…

一人はあかりを

眠るときに、部屋のあかりを消すのは子どもの係りだ。消したからといって寝てくれるとは限らないし、消して真っ暗になると「まっくろくろろすけ!」とはしゃいでうるさかったりもするのだが。ともあれ電気を消すのは自分、と決めていて、ついうっかり私たち…

学ぼうぜ!

昨日の午後、近所の家に遊びに行った。私はさやちゃん(小2の女の子)のママに用事があったのだが、子どもも「さやちゃんち、いくねー」とリュックに絵本と車を入れて歩いた。 さやちゃんちの近くに行くと、顔見知りの男の子たちがいて、「おーい、ちび」と呼…

『被差別部落の青春』

そんなものがあることはすっかり忘れていた。父がそこに住んでいるにもかかわらず。部落。働かないのに給料を受け取っていた奈良の市職員が、解放同盟の幹部だったとか、 「部落地名総鑑」と題した全国の地名一覧が「2ちゃんねる」の掲示板に掲載され、削除…

もうすぐ3歳

親たちは携帯をもっていないが、子どもは玩具の携帯をもっていて、「あ、あたし、さつき」としゃべっているのは、トトロの電話の場面をしているのだが、本物の電話が鳴ると、電話に出たがってうるさい。電話に出ても何を話せばいいのかはわからないらしく、…

秋の森

日に日に秋も深まっていて、向かいの森も紅葉をはじめている。2階の窓から眺めていたら、子どもがモミの木を指して「くすのき」と言う。トトロのせいで木といえば「くすのき」だと思っているのだ。あれはモミの木、そのうしろにあるのがくすのき、そのうし…

餓死

「私達の最後が餓死であらうといふ予言は」という詩のフレーズが思い出されたのは、3歳の男の子が餓死させられたというニュースのせいだ。餓死という言葉に血の気が引く。ちょうどいま読んでいるのが『強制収容所グーゼンの日記──ホロコーストから生還した…

「旅の重さ」

テレビで吉田拓郎とかぐや姫のつま恋コンサートの特集をやっていて、子どもを寝かせるのもそっちのけに、見てしまった。吉田拓郎もかぐや姫も中島みゆきも、中学から大学にかけての時期、ギターを弾くような友人たちが歌っていたから聞き覚えはあるのだ。あ…

地球儀

地図を見ると、「てんきよほう」と子どもは言う。日本地図は確信をもって「てんきよほう」と言い、世界地図はたぶんほかに呼び方を知らないから「てんきよほう」と言う。テレビの天気予報を見ている子どもを見ていて、ずっと昔の祖父母の家を思い出した。祖…

遠景

私の小さなスケッチブックがどこにしまってあるかを、子どもはよく知っていて、印刷に失敗したコピー用紙の裏側なんかには見向きもせず、「おえかきするねー」と、スケッチブックと水彩色鉛筆をもってきて机に広げたあと、「はい、ママさん」と色鉛筆を私に…

ごめんなさい

「ありがとう」と「ごめんなさい」を言える人間になろう、と思ったのは、大人になってからだった。それが言えなければ、生きることはものすごく苦しいと、したたかに思い知らされたあとのこと。素直に言えるようになれば、こんなに楽になるものかと思うほど…

新しい靴

子どもの靴、もう小さくなってきて、これで3足目、新しいのを買った。 1足目の靴は、よちよち歩いてみただけ。ぐすぐず泣きながら親のあとをついてきた。 2足目の靴はずいぶんいろんなところへ行った。かってに走り出したり、おもちゃ屋のおもちゃの前に…

天気のいい日が続いている。気持ちのいい秋晴れ。山口までの往復では、あちらこちら、すすきやセイタカアワダチソウの原っぱがひろがっていた。日に輝いて、せつないようななつかしいような景色だった。 10月の日曜日だった。祖父の死んだ日。こんなふうな…